2014/08/30

話がみえなくて

言葉とは、人が何らかの情報を相手に伝えるための道具である。情報は物質的なモノから非物質的なことまで幅は広い。物質的なモノを表すために使われる際(例えば物の名前などを表す際)、言葉で伝えるのは比較的易しい。同じ時代に同じ文化を共有している同士なら、互いにその言葉が何を表しているかの共通認識が存在しているので、誤解が生じることは少ないと思われる。しかし、観念や感情などの非物質的なこととなると、伝える―理解する、の難易度が高くなる。たしかに、言葉を使えば考えていることや感じていることの大体は誰かに伝えることができるし、誰かが何を考え感じているかを知ることもできる。しかしここで大事なことは、自分がある観念を表すのに使っている言葉と、相手がある観念を表すのに使っている言葉が一致していることである。互いの観念が同じようなもの、少なくとも似ているものでない限り、同じ言葉を使っても通じ合わずに終わるのだ。誰かに何かを伝えようとしたけど、理解してもらえなかった―こんな話は誰と話をしていても起こる。そして本を読んでいる時にも起こる。

本を読んでいると、知っているはずの言葉の入った文章を読み進めているのにもかかわらず、だんだん話が見えなくなっていくことがある。特に、心理学や哲学関連の本を読んでいるとき。読み進めるのをやめて、ちょっと前に戻ってゆっくり読んでいくと、高確率で見つかるのが非物質的な概念や抽象的な概念を表すための言葉である。意識、精神、理性などなど…このような言葉は日頃耳にするしなんとなくのイメージしか自分の中になく、定義を説明できるのかと言われると怪しい。で、辞書で調べてみると、またしても出てくる抽象的な言葉。さらに調べ、読み進めると今度は複数の解釈が出てくる。この時代は○○という意味で使っていた、この学派は〇〇という意味で使っているなどなど。さらに別の辞書を使うとまた違った解釈が出てくる。つまり人による、時代による、定義や解釈の揺れがあり、完全無欠の定義はないのである。なので結局、作者の生きた時代背景を推測しつつ、その言葉の意味を検証しつつまた本を読み進めるしかない。読み続けていると、作者の言わんとしているニュアンスが解けるときもあるし、そのまま解けずに終わることもある。

言葉に完璧な定義はない。そんな中私がすることは、複数の解釈を咀嚼し、その言葉に対する自分の解釈、ニュアンスをはっきりさせておくことである。解釈を咀嚼することでその言葉が社会でどう使われているのかを知り、その言葉と自分の中にある観念を結ぶ。その作業は誰かがその言葉に込めたニュアンスを理解するうえでも、自分の伝えたいことが意図している通りに他の誰かに伝わるためにも役に立つと思う。

2014/08/24

心理学はどこへ行くのか

心理学の全体を俯瞰するのに始めたエントリーもいよいよ終盤。ここまで心理学の起源と心理学における研究領域をいくつか紹介してきたが、最後に最近の心理学についてまとめておこうと思う。
まず今更ながら一つ付け加えておくと、心理学は大分類として基礎心理学と応用心理学に分けることができる。基礎心理学は主に人間の心理について、一般的な法則を見つけようとする分野である。前回記載した、臨床心理学を除く○○心理学(発達、人格、社会、認知)は基礎心理学に位置づけられている。応用心理学は、基礎心理学で明らかになった知見をもとに実際の現場、社会に活かしていこうとする領域である。その代表的なものが臨床心理学だ。臨床心理学は主に、精神に不健康をきたしている人たちの精神を理解し、必要とあらば治療して望ましい方向へ持っていく、ということをしている。現在も引き続きさかんに研究がなされているが、ここ数十年間で、不健康な人以外をもターゲットとする、健康増進のための、より精神的に充実した生活を送るための心理学が登場した。健康心理学とポジティブ心理学である。

健康心理学は1978年頃、アメリカでスタートした。精神の不健康だけでなく、身体の健康や疾病に関わる心理を研究する分野だ。例えばフリードマンの「タイプA」理論。心臓疾患を患った人を調べると性格や行動に一定の傾向が導き出せたことから、この傾向をタイプAとし、心臓疾患にかかりやすい人たちの特徴的な傾向とした。タイプAには競争的、野心家、攻撃的、いらつきやすいなどの傾向が含まれる。また、ストレスもこの分野でメジャーな研究テーマの1つである。ストレスがたまる=病気になりやすい、は長年言われ続けてきたことだ。しかし健康心理学者のマクゴニガルは、ストレスの捉え方を変えればストレスは健康のための味方になると主張する。人間は普通、ストレスを感じると、心臓が高鳴り、血管が収縮(心臓病の原因とされているものの1つ)し、呼吸が早くなり、汗が出るなどの身体症状が現れる。しかし実験によって、ストレスを有用なものと捉えた人は、心臓が高なるものの、血管の収縮は起きなかったという。そしてこれは、喜びや勇気を感じているときの身体の状態と同じだそうである。また、ストレスを有効なものと捉えるための根拠としてオキシトシンを提示する。人間はストレスを感じるとオキシトシンを分泌する。オキシトシンは他の人と親密な関係を求めるようになるほか、血管を弛緩状態に保ったり、心臓細胞の再生を促したりと、ストレスから回復するための機能も持ち合わせているという。

ポジティブ心理学もやはりアメリカで、1998年頃からスタートした。一言でいうと、どうしたらより幸福な生活を送ることができるかを研究する分野である。この分野の代表的な心理学者はチクセントミハイである。彼は様々な職業や民族の人にインタビューし、彼ら、彼女らがどういうときに幸せを感じるか、そしてそのとき彼ら、彼女らはどんな状態なのかを調べた。チクセントミハイは、人はフロー状態にいるとき、幸せを感じているとした。フロー状態にはいくつかの要素がある。それは「、達成できる見通しのある課題に取り組んでいる、自分のしていることに集中している、行われている作業には明瞭な目標があり、フィードバックされる、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、無理のない没入状態で行為が行われている、自分の行為を統制しているという感覚、フロー後、自己感覚はより強く現れる、時間の経過の感覚の変化、である。(一部引用:http://goo.gl/UgM81e)この他、フローに入りやすい/入りにくい性格傾向、環境なども指摘している。

最近の心理学でにおけるもう1つの潮流は進化心理学である。人間の心の働きの基本を、進化によって環境に適応的に形成された情報処理、意志決定システムから成り立つものとして捉える立場だ。つまり、人間の心や行動、そしてそれを生み出す脳を進化の産物とし、状態や変化の動因を適応に帰結する。動物において研究がなされている性淘汰理論(異性獲得競争を通じておきる進化)や互恵的利他行動(即座の見返りがなくとも、あとの見返りを期待して他の利益になることを行うこと)などを人間の行動や心理にもあてはめて考えていく。

数回に分けて心理学の歩みをざっくり振り返ってきた。ではこれから心理学はどこへ向かっていくのか。これまでの心理学は、人間の心的過程はどうなっているのか、何が起こっているのかという、現象を解くということが多くなされてきたと思う。ヴントの内観法や行動主義、認知心理学、社会心理学、発達心理学でなされてきた実験やモデルづくりに見ることができると思う。その一方で、なぜその現象や行動が起こっているのか、という議論もなされてきた。これは精神分析からの潮流に顕著に見ることができる。これらの、これまでなされてきた理由付けは、思弁的なものが中心だった。つまり、心理学者が現象や実験結果を元に、なぜそれが起こるのかを論理的な形で考えていった結果としての説、ということだ。しかし、昨今の心理学はより実証ベースでの理由づけをしていく傾向があるように感じる。なぜそうなるのかを、目に見えるものを使って1つ1つ裏付けしていくということだ。それは、神経科学や生物学の知見がどんどん明らかになってきていることが大きく影響している。デカルトが提唱した心身二元論は今では廃れ気味で、精神を脳の活動と捉える見方が優勢だ。しかし、脳、神経ネットワークの仕組みや遺伝子の仕組みの解明はまだ始まったばかりである。しかもどちらも複雑な仕組みであり、完全な解明ができるのかも分からない。しかし、解明作業は進められており、心理学に神経科学や生物学の知見を取り入れ、現象を説明することは今後も続いていくと思う。心理学は自然科学の系譜を受け継いでおり、精神と脳は切り離せなくなっているからである。

2014/08/21

○○心理学の台頭


前回のエントリで初期の心理学についてまとめたが、今日でも心理学のメジャー分野として名を馳せているいくつかの分野が20世紀に次々と起こる。

まずは発達心理学。発達心理学はその名の通り、人間の、生まれてから死ぬまでの発達をテーマとする。学校教育の普及や教育哲学からの流れで児童に興味が持たれるようになったのを背景に、発達心理学は児童心理学からスタートした。例えば1930年代ごろから活躍したピアジェは、「私たちはどのようにして身の回りの世界に対する認識や理解を獲得するのか?」という問題提起から実験を行い、子供の認知の発達には段階(感覚運動―前操作―具体的操作―形式的操作)があることを示す。行われた実験には例えば、保存課題(容器に入った液体を異なる形の容器に移し、見た目が変わっても量が等しいことを判断できるかを調べる)などがある。認知の発達は子供と環境の相互作用によってなされるとし、子供は自己中心性→社会性を得る、という社会化のプロセスを発達とみた。一方、ヴィゴツキーは別の発達理論を提唱した。ヴィゴツキーの考えはピアジェとは逆で、自己の発達は、人びととの関係の中に自己が現れることから始まり、のちに自分自身の心理内に自己が組織化されるとした。
ボウルヴィーが展開した愛着理論(1958-60ごろ)も有名である。母と子の結びつきの強さは母が子の生理的欲求に応える機会が多いから、という従来の説を覆し、母と子の間には情緒的な結びつきがあるとした。ハーローによるサルを使った代理母実験(ミルクを与える針金の母とミルクの出ない布でできた母のどちらと子ザルはいたがるか)でも母親が愛着の対象であり、安全基地として機能しているという結果が見られる。前述した、人間の発達理論を作ったエリクソンも発達心理学領域で活躍した人である。

続いて人間の個人差を測ることに関わる差異心理学。ここには知能検査などの開発や研究、人間の性格について研究する人格心理学が含まれる。例えばフランスのビネは自分の子を観察し、シモンと、子供の知的活動を総合的に測るためのビネ―シモン式知能検査を1905年に開発した。知能検査はウェクスラーによって成人版(ウェクスラー成人知能検査WAIS)も1955年に開発された。人格にまつわる説は古代ギリシャの頃からあった。例えばガレノスは、ヒポクラテスの唱えた4つの体液(血液、粘液、黄胆液、黒胆液)が気質を支配しているとした。19世紀になると、クレッチマーが体格ごとに特徴的な気質(躁うつ気質、分裂気質、粘着気質)があるという理論を唱えた。また前述したユングは、人間の態度を関心が自分に向く内向と、関心が外界に向く外向に分け、さらに自分と環境を関係づける方法として思考―感情、感覚―直観の4つの心理機能を提示した。これらは「類型論」と呼ばれている。つまり、型が存在しており、そこに人間をあてはめていくやり方だ。そんな類型論に異議を唱えたオルポートは「特性論」を元に人間の性格を定義しようとした。個人を、様々な特性が結合した状態ととらえる見方だ。
ちなみにアメリカでは戦争中、知能検査や性格検査が軍隊で取り入れられ、軍人の戦闘、軍生活に対する態度や行動、リーダーシップ、神経症症状等の傾向を調べるのに使われたようだ。

次は社会心理学。扱うテーマは幅広い。ざっくりまとめると、社会における個人の行動や相互作用、集団の行動、心理がメインである。実験を行うことも多い。社会心理学は、フランスで当時行われていた群衆や模倣の研究(社会学)や、19世紀末~20世紀前後にかけて展開されていた2つの自己の考え(主体性の根拠となる自我、他者の態度や役割によって社会化された客我)の影響を受け、1930年頃から始まった。レヴィンは1940年頃、「グループ・ダイナミクス」という考えを提唱する。これは、集団内における個人は、その集団のもつ性質やどんな成員がいるかによって影響を受ける、というものだ。第二次世界大戦後には前述した行動主義も廃れてきており、社会環境が個人に影響をもたらすという考えが行動主義に変わるアプローチとされ支持を得た。アッシュの印象形成における初頭効果(最初の印象が残る)、ハイダーやケリーの帰属理論(身の回りに起こった出来事や、自己/他者の行動に対して、どこに原因があると推察するか)などがある。また、1960年代になると、権威に対して人は自身の道徳観を無視するということがわかったミルグラムの実験や、一般の人が看守役と囚人役に無作為に分れられて刑務所内で生活するうちに互いにどんな変化が現れるのかを実験した、ジンバルドーのスタンフォード監獄実験(http://www.prisonexp.org/)が行われた。スタンフォード監獄実験は、映画「es」の題材にもなっている。

認知心理学も忘れてはならない。認知心理学が扱うのは、注意や知覚、記憶、忘却、言語の産出、問題解決や意思決定などの仕組み、意識などである。コンピュータや人工知能の技術が発展したことに影響を受けて1950年代からスタートした。脳を情報処理装置とみなし、コンピュータの情報処理過程のモデルを適用するなどして人間の認知過程を明らかにしていく。初期の認知心理学の代表的な人物は、人間が一度に記憶できるのは7つまでの情報の塊であると発表したミラーや、人間の知覚に及ぼす人格要因や社会的要因の影響も示したブルーナーなどである。目撃証言記憶の曖昧さを明らかにしたロフタスも認知心理学者である。ロフタスはいくつかの実験を行った。例えば、模擬事故の現場を被験者に見せ、そのあとで、2台の車が衝突している/どんと突き当たった/接触した/ぶつかった/ときどれくらいのスピードで走ってましたか?と聞くと被験者は、衝突したときと質問された時に、より速いスピードで走っていたと答えた。また、事故で窓ガラスは割れていなかったのにもかかわらず、衝突したときと質問されると割れていると答える人が増えたという。
ヒューリスティック、バイアスの概念も認知心理学の分野である。ヒューリスティックとは簡単にいえば経験則のことで、人が問題解決や何らか意志決定を行う際に時間や手間を省けるような手続き・方法である。しかし経験則はいつも有効であるとは限らず、経験則のせいで物事を偏って認識する(認知バイアス)という事態が生じることもある。ある側面で望ましい特徴のある人間に対して、全体評価を高くする傾向があることも、ハーロー効果と呼ばれるバイアスの1つである。

最後に臨床心理学をちょこっと。臨床心理学は、精神に不健康をきたしている人間を対象とし、カウンセリングや心理療法などの治療行為もこの領域に含まれる。臨床心理学分野では1960年代、人間性心理学とよばれる心理学が起こった。行動主義や精神分析に対するアンチテーゼとして、このころの哲学の実存主義(個別、主体的な存在として人間を捉える)からの影響を受けた。マズローは、自己実現を目指す5段階の欲求階層説を唱えた。またロジャースは、人間には外部から自由になり自律性に向かう傾向が内在しているとし、指示的・分析的な精神分析とは対をなす、クライアント中心療法(指示を与えず、患者の体験に心を寄せて尊重し、患者の本来の力を発揮させて問題の解決を促す)を始めた。また認知心理学を治療に応用した認知行動療法(物事の捉え方を修正していき、行動を変容させる)も、1967年、ベックによって提示された。

2014/08/20

心理学はどこから来たのか 続き

心理学が成立したころ、ドイツではヴントによる生理学から派生した心理学が、アメリカでは、ジェームズの機能的心理学やワトソンに象徴される行動主義が、オーストリアではフロイトによる精神分析が勃興していた。

ヴントの心理学はティチナーの唱えた構成心理学へと受け継がれた。ティチナーは要素還元主義の立場だ。意識(つまり、私たちが心の現象として経験していること、私たちが私たちの経験だと感じることのできるもの)を最も単純な要素に還元し、その要素が互いに連合する法則を見つける、そしてその意識過程と神経過程の相関を見つけて、意識が起こる原因を探ろうと、というものだ。しかし1910年頃、要素還元の立場に異を唱えたゲシュタルト心理学が起こる。要素に還元せず、統合された全体をそのまま捉える、というアプローチだ。ゲシュタルト心理学は人間の知覚研究から始まった。実際には動いていないのに動いて見える仮現運動の現象など、刺激と感覚の一対一対応では説明がつかないことが起こっていたからだ。その後、人には視覚刺激を単純明快な方向に向かって知覚する傾向がある、視野の中で近くに配置されているもの同士はひとまとまりとして知覚されやすい、性質の違う刺激があるとき、他の条件が等しければ、似ている性質のものがまとまって知覚されやすい、といった近くの諸理論も生まれる。

ワトソンの呈示した行動主義は1930年代になると新行動主義へと変化する。手続きや設定を詳細にした実験を行い、心的過程の理論を作る動きが生まれた。例えば、トールマンはラットを使った迷路箱実験を行い、ラットが経験から学習することを提示、体験―行動間に期待や仮説、信念、認知地図などといった媒介変数を導入して、心的過程の理論化を試みた。スキナーはラットを使った実験を通して、学習には「強化」が必要(強化随伴性)だと述べた。スキナーは、状況、行動、その結果が次の行動の生起にどう関係しているか、に注目、状況を変えれば行動は変化するとし、環境主義の立場をとった。

フロイトの理論は形を変えてユングやアドラー、娘のアンナ・フロイトなどに受け継がれていった。フロイトの、人間の心を無意識の中の性的欲動を中心に考える論理に賛同しなかったのはユングは、独自に分析心理学を打ち立てた。心の構造を意識―無意識とし、無意識には個人的無意識と集合的無意識があるとした。個人的無意識には、かつては意識化されていたものが抑圧、忘却されたものやコンプレックス(自我をおびやかす心的内容が一定の情動を中心に絡み合っているもの)を含む。集合的無意識には人類共通の心の基盤となっているもの(大母、老賢人、影など)が含まれる。集合的無意識は夢や神話、幻覚などに現れる。
アドラーは個人心理学を打ちたて、劣等感の概念を中心に人間の心理や行動を解こうとした。人はそれぞれ他人より劣ったものをもち、その弱さ、劣等感を補償するためにより強く完全になろうとする意志(権力への意志)をもつという。
アンナ・フロイトは自我心理学を展開した。自我を、エスにおける心的葛藤を統制するだけでなく自律性や適応機能を備えたものとし、自我を育てることを提示した。人間の発達には段階があり、各段階ごとに提示される課題を解決しながら人間は発達していくとしたエリクソンも自我の重要性を強調した新フロイト派の1人である。

2014/08/17

心理学はどこから来たのか

心理学は守備範囲が広い。世の中にたくさんある「○○心理学」は、それぞれ似ているようでちょっとずつ違う。数年間心理学を学んできたが、私の中ではどうも「○○心理学」の諸理論が断片的に入っているだけで体系だっていない。そこで、心理学はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、を何回かに分けてちょっとまとめておこうと思う。

心理学とは、心(精神)の営みとそれに基づく行動を研究する学問である。心理学の成立は1879年と言われている。場所はドイツ。医学と生理学を学んだヴントは、自身が教鞭をとるライプツィヒ大学に「心理学実験室」をつくり、ゼミナールを始めたときだ。ヴントが興味を持ったのは、「人間は外部からの刺激をどう認識するのか」ということ。ヴントはそれを実験によって観察し、分析しようとした。人間に外部から刺激を与え、外に出る反応を計測し、そのとき被験者がどんなことを感じたかを語ってもらう「内観法」という手法で解こうとした。ヴントは、刺激―反応という認知体系を統括するものとして、「統覚」という心的過程(つまり意識)を考えていた。
ヴントの始めた心理学は生理学から派生したものだ。ルネサンス以降、人間や動物の解剖が行われるようになり、生物学や医学が発達した。ドイツでは19世紀、医学・生理学の研究がさかんに行われていたという背景がある。

一方で心理学は哲学の土壌で育ってきたものでもある。医学・生理学分野からよりも、哲学からの系譜のほうが歴史が長い。古代ギリシアでは、アリストテレスが「霊魂論」の中で霊魂の性質や機能を明らかにしようとし、中世時代にはデカルトを始めとして、「認識」についてさかんに議論されるようになる。哲学において投げかけられた心に関する問いや説は、未だにはっきりと解明されていないものが多々ある。例えば「心とはなにか」「心はどこにあるのか」などの、心そのものに関する問い。現在でも心の哲学とよばれる哲学分野で議論されている。また、17世紀頃から西洋哲学で起こった、合理主義VS経験主義は心理学でも展開され、生まれか育ちか論争(人間の性格は生得的なものなのか、経験によるものなのか)も未だに続いている。

心理学に話を戻そう。ドイツで心理学が始まったころ、アメリカでも人間の意識に関する研究が始まっていた。ジェームズは、1890年に「心理学原理」を発表、意識を環境に適応する手段の一つと捉え、その目的や効用を明らかにする機能的心理学を提唱した。扱うのは、習慣や注意、記憶などの現象。機能的心理学は、ダーウィンの進化論の影響を受けている。アメリカでは、ドイツで見られるような実験を使ったアプローチではなく、理論的アプローチがとられていた。
機能的心理学はワトソンによって、行動主義へと移行する。ワトソンは意識とそれに伴う主観的言語を排除して、行動から心理学を研究する立場をうちたてる。ワトソンの提示した行動主義の代表的な特徴は、S-R主義、環境主義である。人間の内部で行われる心的過程を排除し、刺激と反応の結びつきにすべてを還元する。また、生後11ヵ月のアルバート坊やに実験によって恐怖反応の条件付けを行い、本能でさえも後天的に条件付けられた反応であるとした。

初期の心理学でもう1つ忘れてはならないのが精神分析の系譜である。19世紀末~20世紀にかけて、オーストリアの医師フロイトが始めた。フロイトによって「無意識」の概念が生み出される。自身によって意識されない領域にこそ、神経症患者の行動のキーがあると考えた フロイトは患者に自由に話してもらう自由連想法を通じて患者の無意識に近づき、無意識に抑圧された記憶(性的幻想を含む)を患者が自覚し、言語化されることで病気が改善すると考えた。フロイトは心は、超自我(良心、道徳的禁止機能)―自我(心的葛藤の統制)―エス(本能的欲望)から成るとした。

生理学からの、刺激に対する反応とその心的過程を捉えるというアプローチ、客観性を重視した行動主義、心を病んだ人を治療することから始まり、心の構造を理論化した精神分析、これらが心理学成立期における心理学の潮流である。

2014/08/06

微分の歴史

「新装版 オイラーの贈物」(吉田武著、東海大学出版会、2010)という本を使うゼミに参加した。本の内容を紹介すると、オイラーの公式「ecosθisinθ」を導くことを目標に、関連する数学を解説していくというもの。参加者は、本の章立て(微分、積分、三角関数などの数学の分野名になっている)に沿って発表をしていく。

私は微分を担当した。微分は高校時代に得意だったから選択した。微分ってどういうことだろう?といろいろ調べていくうちに、微分っていつできたんだ?と歴史が気になってきた。

微分は、アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツによって成立した。彼らは同時期にそれぞれ別のアプローチで接線問題や求積問題に取り組み、微積分学の基本定理(微分と積分は逆の関係にある)を発見した。ニュートンは微積分学の基本定理を1666年に発見、1704年に発表し、ライプニッツは1684年に発表した。
時系列で見ると、ニュートンによる微分の発見と発表の間にライプニッツの発表が入っているため、どちらが微分を先に発見したのかで一悶着あったようである…

微分の概念は「接線」の概念から生まれたものだ。古代ギリシャの時代には既に接線の概念が存在していた。ユークリッドの幾何学を中心とした当時の数学において接線は、「円と1点のみを共有する直線」と定義された。しかし、接線についての本格的な議論は長い間なされず、時代は中世に。
数学において中世の最大の出来事の1つは、デカルトによる座標の発明だ。座標によって幾何学と代数学が結びついた。定規やコンパスで書かれていた直線や曲線は、座標や代数の概念を使ってより厳密かつ正確に示すことができるようになった。そして、接線は注目を集めるようになる。
デカルトやフェルマーなどの数学者が、曲線に接線を引く方法(「接線問題」)の解決を目指した。デカルトは、方程式を使って楕円上の1点における法線を導き、接線を求めた(1637年)。フェルマーは矩形の面積を題材に、無限小の概念(無限小数e)を取り入れた極値決定法を考え、その方法を利用して接線を引いた(1638年)。しかしどちらも、平面上のどんな曲線にも接線が引ける方法とは言えなかった。

接線問題を解決に導いたのはニュートンだ。ニュートンは、曲線や直線は小さな点が時間の経過とともに動いた軌跡である、という考えのもと、動点の進行方向である接線の傾きを計算する方法を考案した。無限小の時間を表すο(オミクロン)という記を取り入れ、動点がx軸方向に進む距離をxο、y軸方向に進む距離をyοとし、これらの値を曲線の式に代入して、最後にοを含む項を捨てる。この方法は「流率法」と呼ばれている。
一方ライプニッツは、今日の微分で使用されている、dxdyなどの記号を生み、曲線と曲線上のある点における接線と垂線、軸で作られる三角形の辺の比を、微小な三角形の辺の比と等しくなるようにする、という考えから傾きを求めた。また、定数の微分や加減乗除の公式を発表した。

ニュートンとライプニッツによって提示された微分は、「無限小」の概念が十分に論理付けされていなかったため、今日のような厳密さが欠けていた。しかし、微分の概念は、力学や天文学など数学を用いる諸科学分野で応用可能、かつ実用的であったため、複数の科学者によって普及していった。微分概念の普及や発展に貢献した数学者は、ベルヌーイやロピタル、オイラー、ラグランジュ、ラプラスなどである。

微分学が厳密性を伴うようになったのは、19世紀に入ってからだ。仏の数学者コーシーは、1821年に発表した「解析教程」で「極限」や「無限小」、「連続関数」の概念を定義し、解析学の基礎を刷新し、その後デーデキントやカントールによる実数論などを経て、今日の微分の基礎が完成した。

正直、上記した各数学者の考えた理論を完全に理解したとは言えないのだが、微分成立の歴史をざっくりまとめるとこんな感じになる。時の中で1つ1つ論理性に欠けるところをつぶし、普遍的に成り立つものへと発展していく過程が見て取れる。
今あるものは、たくさんの人の積み重ねによって出来上がったもの。数学に限った話ではない。他の学問だって、お店に売ってる商品だって、人間だってそう。


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2014/08/04

ドイツ語学習での覚書

この4月からドイツ語を習い始めた。週3回、各90分の授業。授業はそれぞれ「文法」「会話」「読解」に重点を置く、という形でドイツ文学やオーストリア文学が専門の3人の先生から習っている。

ドイツ語は興味があったわけでもなく、ドイツ語を話す知り合いや友達がいるわけでもなく、触れる機会といったら、たまーにドイツ映画を観るくらい、といった程度。完全な初学者で、習い始めてから2ヵ月くらいはドイツ語の仕組みがいまいち把握できず、英語の仕組みともごっちゃになり、予習や宿題が億劫で仕方がなかった。しかし、続けてみると慣れるもので今ではそこそこ楽しくなってきている。

この数ヵ月間のドイツ語学習を振り返ってみると、ドイツ語の理解が進むきっかけがあったように思う。

1つめは、音とそれに対応する文字が頭の中で一致し始めたことだ。これは、単語を見てその単語を発音できる、または、単語を聞いてその単語を文字に起こすことができる、ということである。
そういえば語学の教科書を見てみると、その言語に使われる文字とその発音がまとまっている表や、発音のルールが一番最初のセクションに載っているものは多い。今まで特に意識したことがなかったが、音と文字の対応というのはけっこう重要なのかもしれない。
実際これがある程度できると、音と文字の関連付けがあやふやなときより、単語が記憶に残りやすく、意味も覚えやすい。単語の音だけを覚えようとしても、似ている音を混同して間違って覚えていたりすることがある。単語のスペルだけを覚えるにしても、記号にすぎない文字の並びを写真のようにそのまま再現するのは単語数が増えるほど厳しくなる。しかし、音と文字が対応すると、頭の中で単語の外観のようなものが正しく確立される。そして、その単語が表しているイメージや観念(単語の意味)がそこに入り込み、1つの単語が完成する。
もちろん、いくら単語の音と文字で外観を支えても、時間とともに中身の意味がすっかり抜け落ちるいうのは避けられないので、要反復練習になるわけだが…

2つめは、文の構造を捉えられるようになったことである。文を単語もしくは句レベルに分解して、単語や句がどういう役割を果たしているか(主語、目的語、述語、この句はどの単語、句に係っているのかなど)を捉え、文の意味を理解する。もちろんこれには文法の基礎を習得することがなんといっても不可欠。文法はとにかく覚える、としか言いようがないのだが、文法を分かっていることが果たす役割は大きい。もちろん、ある程度のレベルの短文は単語の意味を知っていれば対処が可能である。しかし長文、複文になってくると単語の意味だけでは収拾がつかないことはしばしばある。しかも、テストでもない限り知らない単語は辞書で引けばいいが、文法はそういうわけにはいかない。文法が分かっていれば、文が自ずと整理されて解けるようになる。
文法の重みは、英語学習を振り返ってみても実感する。ここ数年来、会話で英語を使うことを目的に英語学習をしてきたが、会話でよく使うフレーズを覚えたところで広げられる表現の幅には限界がある。それよりも英文法をマスターしたほうが自分の伝えたいことが伝えられるようになる。言いたいことを口に出せるかどうかは慣れや訓練の問題だ。

ということで、私のドイツ語学習は音読と文法を中心に。