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2014/11/04

見る+解釈する=知覚する

人は目に入ったそのままのものを知覚していない。目に入ったものになんらかの解釈が加わったものを知覚している。解釈は脳が加えているが、無意識下で行われるため、もちろん私たちに自覚はない。このことを示すよい例が錯視現象だ。錯視とは、目で見たものが実際とは違うものとして知覚されることである。だまし絵を見ると本当は絵なのに、絵に描かれているものがあたかもそこに存在するかのように感じる。だまし絵は、人間が何かを見るときに起こる、錯視の現象を逆手にとった作品だ。

知覚にはいろいろな特性がある。例えば奥行きの知覚。人は、生理的なメカニズムと経験的なメカニズムが組み合わさった状態で奥行きを知覚する。生理的なメカニズムとは、遠くを見る時と近くを見る時で水晶体の厚さを調節したり、右目と左目のそれぞれの網膜に映る像の差異を利用することなどだ。経験的なメカニズムとは、陰影や、ものの大きさ、もの同士の重なりなどを利用して奥行きを知覚することだ。トリックアートをはじめ多くの絵画は、3次元の空間を2次元上にリアルに表現するためにこれらの技法が活用されている。

20世紀前半にドイツのゲシュタルト心理学派が研究していた、「群化」とよばれる現象も知覚の特性の1つである。群化とは、まとまりを見出し知覚することだ。まとまりが作られるには条件がある。例えば近接の要因。さら地に全く同じプレハブが複数建っているところを想像してみる。3軒は南、5軒は北、4軒は西にあるとしたとき、南、北、西でプレハブがまとまりとして想像できるはずだ。つまり、物理的に近いものがまとまりとして知覚されるということである。群化の別の例は、類同の要因だ。今度はさら地に、赤、青、黄色のいずれかの色の屋根をもつ、同じ形、大きさのプレハブが散在していると想像してみる。私たちの中に屋根の色でまとまりが作られる。似ている性質のものは、まとまりとして知覚されやすい。

また、運動しているものを見たときに現れる知覚の特性もある。例えば「運動残効」。一定方向に動いているものをしばらく見ていると、動きが止まった時にそれまでの動きとは逆の運動が現れる現象である(デモはこちら→http://youtu.be/JLJ6bMSDlNE)。パラパラマンガも「仮現運動」とよばれる知覚の特性を利用している。適当な刺激強度の静止画像を、適当な時間間隔、空間間隔で連続提示すると、動画を見ているような感覚になる。

では、こうした錯視現象が起こるのはなぜだろう。脳の仕業であることは明らかだが、詳細なメカニズムはまだ分かっていないと思われる。視覚情報処理メカニズムを簡単に説明すると、眼球の瞳孔、水晶体を通じて入った視覚情報は網膜に投射され、視神経を通じて脳の後頭葉に送られる。後頭葉には、視覚情報処理に特化した視覚野が複数存在し、そこで処理される。さらに、その視覚情報は頭頂葉や側頭葉に送られ、後続する行動へと続いていく、というプロセスをたどる。また、脳内の情報処理は電気的シグナルと化学的シグナルである。眼球に投射された像は電気的シグナルに変換されて脳に送られるが、脳内でも複数の細胞、神経物質などの脳内環境の影響を受けて最終的に意識にのぼってくる(知覚される)。「見る」から「知覚する」までのプロセスは複雑だ。
また進化という視点から見れば、現在でも普遍的に見られる錯視の現象は、生存するために益となった特性だともいえる。ニワトリやハトなどの鳥類にもヒトと同じ、そして異なる錯視現象が見られるというデータもある。となると錯視の歴史は古いとも考えられる。

最後に、高尾山トリックアート美術館(http://www.trickart.jp/about.html)で見つけたお気に入りの絵を2つ。
床に落ちていた1000円札
トイレで遭遇したりんご売りの魔女さん


錯視をもっと楽しみたい方に。
北岡明佳の錯視のページ http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/