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2015/04/07

手段としての一人旅

先日友人と旅行の話になった。彼は旅行好きで、年に数回海外に出かけている。1カ月ほど前は、奥さんと幼い娘と一緒に海外リゾートに行ってきたらしい。そして近々、東南アジアを一人旅することを計画している。彼曰く、「家族旅行は家族へのサービスが目的だから。一人旅で自分の自由な時間が必要だよ。」たしかにその通りだと思う。一人旅の醍醐味といえば、好きなときに好きなことができる自由気ままさ。誰かと一緒だったら、よっぽど気心が知れた人でない限りそんなわけにはいかない。そう思うと一人旅は魅力的。だから私も好んで一人旅をよくしてきた。でもここ数年は一人旅をしていない。一人で飛行機や電車に乗っても現地で友人と合流する。それに、昔は頻繁に起こっていた一人旅したいという気持ちも起こらない。この心境の変化はいかに・・・。ということで、一人旅遍歴を振り返りながら考えてみようと思う。

最初に一人旅をしたのは今から約10年前、夜行バスで広島に行ったことだった。広島市内と宮島を観光し、お好み焼きや牡蠣やもみじ饅頭を食べた。広島に着くまでのバスの中では私は恐怖でいっぱいだった。初めての一人旅だったし、夜行バスも初めてだったし、親にも内緒だったから、何か悪いことが起こりやしないかとひやひやだった。広島に着いてからもひやひやは続いていた。でも、地図を見ながら目的地にたどり着いたり、一人でご飯屋さんに入ってご飯を食べたり、山に登ったりしていたらなんだか少し自信がわいてきた。今思えば、とても楽しい旅ではなかったが、一人でそれなりの旅行ができたことが嬉しかった。当時の私は念願だった一人暮らしを始めたばかりの頃で、「自立」ということにとても価値を置いていたから、この一人でできた経験がくせになってしまったんだろう。

それからも一人旅を続けた。国内だけでなく、海外にも行った。初めての海外への一人旅もひやひやものだった。何年もの間行きたいと思っていたベルギーに行ったが、広島以上に大変で疲れる旅だった。言葉が分からないし、街中にアジア人がいなくて疎外感を感じたし、警戒心の低さから危ない目に合いそうにもなった。旅行中は4つの都市を観光して、ワッフルやチョコレートを堪能したが、とても楽しい旅だったとは言えない。だけど、一人で海外旅行できたという達成感のようなものはあった。それにベルギーで一人旅をしたと人に話すと、たいていの人は驚き、感心する人もいた。そしてまた違うところへ一人旅をするのである。

結局私にとって一人旅は、目的ではなく手段だったのだと思う。自立していると実感する/自立していることを他者に示す/他者と自分を差別化するための手段である。自意識過剰の産物とでも言おうか。よく一人旅をしていたころは、○○が観たくて、××が食べてみたくて、でも誰とも予定や行きたい場所が合わないから(あくまでも推測)一人旅をするんだと思っていた。でも今振り返ってみると、それはかっこつきの理由だったように思う。一人旅が自立とリンクしていて、しかも私の周りに一人旅する人がいなかったから、一人旅に惹きつけられていたのだと思う。今は私の中で、一人旅と自立がリンクしていないし、友人の一人旅の話を聞いても特に感心しないし、誰かと一緒に旅行するほうが楽しいと思うから、一人旅欲求が低くなったんだろう。

一人旅の思い出に比べて、誰かと一緒の旅行は楽しかった思い出が多い。好みが合わず行きたい場所に行けなかったこともあったけれど、それ以上に旅行中にした会話とか、一緒に何かをしたこととかが楽しかったこととして記憶されている。それに自分一人では気づかないことに誰かが気づいたりして、いろんな発見ができ充実していた。こういうのが目的としての旅なんだろう。今度一人旅をするとき、それが目的としての旅だったら昔の一人旅とは違う旅になるに違いない。