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2017/09/29

一に書いて,二に書いて,三四も書いて,五も書いて

最近,”書くこと”を結構意識してやっている。なんでも書いていい用のノートは机に常に開いておき,出かけるときもなんでもノートと筆記具を持ち歩き,なんか思いついたら書く。もちろんスマホやPCも使う。ネットを開けばピンからキリまでいろんな情報飛び込んでくるし,自分の体験以外にも,これは誰かと共有したいなと思ったら,twitterやfacebookで書く。Blogは即時性よりもある程度まとまった内容でいきたいので,時間がとれるときに書く。そんな感じで書くことを続けるようにしている。

なんでこんなことをしているのかというと,書くことで思考が進むということを感じ始めたからである。そもそも書くことは私にとっては面倒くさい。これでも昔は記者をやっていた人間だが,書くのはやはり面倒なのである。というか,時間かかるし効率が悪いように感じる。でも,書くことで思考が進むため,書かないときよりも生産性は高い。最近,何かしらのテーマについてプレゼンする,ということを毎週やっているのだが,その過程でそう感じた。

いちいち書かなくても考えることはできる,と思っていたのだが,それは私の思い込みだったらしい。書いて考えるのと頭の中でだけで考えているのでは,思考の広がりが随分違う。書きながら考えてもまだ十分考えているとは言えないが,書かないで考えていたときよりもアイディアが浮かんだり,着想したことから展開していけたり,ストーリー性をもった説明を考えられるようになったりする。というより,書かないときのはただ考えているつもりに過ぎなかったのかもしれない。だから,書くという行為に向かいやすい環境を作り,自分に書くことを促している。なんせ書くことが面倒なので,とりあえず目につくところに書く道具を用意しておかないと,すぐ書かないというほうに流れてしまう。人間生きていれば常に何かしら思ったり感じたりしているが,その多くは瞬間的なもので,その瞬間が過ぎればその思ったことや感じたことはたいていどこかに行ってしまう。あとで振り返ることができたとしても,そのときに思ったことや感じたことの断片か,微妙に違う何かが出て来るにすぎない。だから書いて残しておこう!と,いかにそのとき思ったことや感じたことが貴重か?を考えてみても,やはり面倒なことはしたくないのである。なので,書くことに対するハードルを物理的に,心理的に下げるべく,鋭意努力中というわけである。

書くことと思考の関係はいろんなところでいろんな人が述べている。よく,書くことによって思考が整理されるという話を聞く。たしかにそれはそうかもしれない。書くとそこには書かれたものがあり,自分はそれを見て,その書いたものに反応する。そうそう,そういうことなんだとか,いやいやそうじゃないとか,ホントにそうなんだっけとか,いろんな反応が出るだろう。だから,そのプロセスが繰り返されれば,整理もされるだろう。個人的に思うのは,人間の特性とアイディアの特性をふまえると書くことは実は合理的ということだ。ほとんどの人間は,1つのことに長く集中できないし,ワーキングメモリには限界がある。しかもすぐ忘れる。それに加えて,アイディアの発現のタイミングはコントロールできない。であるなら,とりあえず書き留めて,それを見れる状態にしておくことが思考を進めるうえで役に立つといえる。

そんなわけで,面倒くささと日々戦い,習慣化までもっていきたい。