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2019/07/09

映画レビュー 「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」

岩波ホールは初来場でした
ニューヨークの図書館ってどんな感じなの!?という好奇心から観に行った「ニューヨーク公共図書館」(http://moviola.jp/nypl/)。初っ端からリチャード・ドーキンスのイベントの抜粋が映されて,宗教・無神論の話が展開されるもんだからちょっとビックリした。でもこれはある意味,ニューヨークという世界の大都市で,公の立場で全ての市民や訪れた人に知を提供するNYPLのリベラルさを象徴しているのかなと思いつつ鑑賞した。

この映画はドキュメンタリー。3時間超えの長編だが,内容はNYPLで行われている著名人を呼んでのトークイベントや,就職イベントや音楽ライブ,子どもたち向けの放課後講座や科学講座,朗読会,読書会などのイベント,NYPL職員たちによる予算の割当会議,図書館利用者の様子,カスタマーサービスやリファレンスサービス,蔵書のデジタル化作業や機械による運搬,写真やイラスト資料の配架の工夫などの抜粋映像で構成されている。NYPLは本館・分館合わせて92個あるらしいが,分館の様子もその地域の街並みやそこで暮らす人々の姿とともに映し出され,観光ガイドなどで見るNYの一般的なイメージとは異なる雰囲気も感じられる。進歩的でオシャレでかっこいいNYよりも,多様性の受け入れ,寛容さの実現,社会的弱者への支援,そういうのが全編を通して感じられた。

NYPL職員たちによる予算割当会議の抜粋映像は映画の中でも1/3近くを占めているんじゃないだろうか。NYPLは税金と寄付で賄われており,力を入れているのは教育関連の企画と,市民のデジタルデバイドの解消である。教育関連の企画では読み書きや数学を子どもたちに教えたり,ロボットを作って動かす講座など。デジタルデバイドについては,調査によるとNYでネットにアクセスできない人は全体の1/3いるらしく,その人たちへのネット環境の提供に奔走していた。また昨今では,多くの仕事がパソコンを使うから,時代に求められるものに合わせて内容をアップデートしていくパソコン講座を開くことなども話に上がっていた。そして,一時期減った公からの資金が昔の水準に戻ったことを受け,市が求めているものをやりつつ,寄付金を増やしていくにはどうするか,等も話に挙がっていた。

ところで,リファレンスサービスでは,やはりというか期待通り,ユニークな問い合わせが来ていた。問い合わせに訪れたのは,ある家系について調べている女性。その家系がどこの町出身かを知りたいという。それに対して職員は,調べ方を順序だてて細かくレクチャー。移民,帰化資料,年代など資料検索に必要なワードがポンポン飛び出してきて,図書館が有している膨大な資料量が伺い知れた。
リファレンスサービスがしっかり機能している図書館は,研究や調査目的での利用者にとって非常に助かる存在だ。日本の図書館の代表,国立国会図書館は全国のいろいろな図書館でのリファレンスをツイッターで公開している(https://twitter.com/crd_tweet)私は好きでたまに見ているのだが,ホントに実にいろいろな問い合わせが来ている。全く予想もしていないような情報ばかりで,世の中の広さを実感するばかりである。リンク先の回答には,検索のプロセスも示されていて参考になる。

静かで,本の匂いがして,誰かから干渉されることもなく,座って落ち着いて過ごせる場所。私は図書館が好きだ。いつかここの図書館も訪れてみたい。

2016/10/06

「プラダを着た悪魔」,再び

映画「プラダを着た悪魔」を最近観た。この映画を観るのは今回が2回目。最初に観たのはたしか,まだ映画館で上映していたときだったから,10年近く前になる。そのときは,映画の話は自分とは遠い世界のことで,「おしゃれだなー」,「かっこいいなー」などと能天気なほほえましい感想しか抱いていなかったと記憶しているが,今観ると,恰好の自己反省用教材だ。10年前と今との大きな差―働いた経験の有無―がそう思わせているのだろうが,特に,私の仕事への向き合い方は,アン・ハサウェイ演じるアンドレアのそれと比べると,まだまだだ。

アンドレアは仕事にどう向き合っていたのか。それは,その場にいるにふさわしい人間になるための努力をしたことと,相手が欲することをしっかり考えたうえで行動したことによく表れていると思う。記者志望の優秀なアンドレアは,ファッション雑誌編集長ミランダのアシスタント職をなめていた。それでもそれなりに一生懸命やっていた。しかし,一生懸命やっても編集長は一向に認めてくれない。それを同僚にぼやいたときに,「君は努力していない,ぐちを並べているだけ」と言われてしまう。なぜならアンドレアは,ミランダがぐうの音も出ないほど満足することを彼女に与えていなかったからである。そのときからアンドレアは変化していく。自分の意志で,今まで着ていたダサい服からおしゃれな服に着替え,ファッションセンスを磨いていく。また,ミランダから指示されたどんなことも完全的確に処理するだけでなく,そのあとミランダが何を求めるか推測して行動,推測して行動,推測して行動を何度か行い,ミランダが求める以上のことを言われる前にやっていくようになる。私もよく「仕事を一生懸命やっている」と自分で思うし,人にそう言ったりもするのだが,私の一生懸命のレベルって低いな…と。しかも,自分では十分一生懸命やっていると思っているから,それ以上のことをしようという発想も出てこない。相手は,私がしたことにどれくらい満足しているのだろう。

仕事への態度を変えたアンドレアはその後,忙しい毎日をすごく楽しんでいるようで,それがまたとても印象的だった。きっと真摯に向き合い続ければ続けるほど,その世界に深く飛び込んでしまえばしまうほど,新しい考えや他にもできることが生まれてきて,楽しくなっていくものなんだろう。中途半端に一生懸命な私が得たものは,楽さと心地よさ,そしてそこそこの楽しさだ。満足感?それもそこそこの満足感でしかない。中途半端な一生懸命はもうやめ!

2016/06/23

映画レビュー 「脳内ポイズンベリー」

久しぶりに邦画を見た。「脳内ポイズンベリー」原作は「脳内ポイズンベリー」同名の少女漫画。こちらは読んだことがないのだけど,映画はけっこうおもしろかった。何がおもしろかったかというと,主人公いちこの頭の中で繰り広げられる5人の議論というか戦い?である。おそらく私の頭の中で起こっていることを可視化しても,こんな感じになるのではなかろうか。

多くの人は何かを決めるとき,その決定によって起こりうるであろうことをいくつか挙げ,その中から最適なものを選び取るだろう。「脳内ポイズンベリー」が描いているのは,その最適解を選ぶまでの脳内プロセスである。いちこの脳内には5つの人格が存在しており,それぞれが主張し議論し合っていちこに決定を下させるの。5つの人格は,議長の吉田,ネガティブ池田,感情的なハトコ,ポジティブ石橋,記憶を管理する岸である。この5人が議論しすぎて疲弊すると,黒い女が場を乗っ取り,いちこに本能的な決定を下させる。心理学では,理性と感情が相互に関わりながら意思決定がなされる,というのが定石だが,5つの人格を分類するならば,理性寄りなのは吉田と池田,石橋で,感情寄りはハトコと黒い女になるだろう。ネガティブ池田とポジティブ石橋は,理屈をこねて悪い方に解釈/良い方に解釈するので,感情だけのハトコや本能の黒い女とは少し違うし,議長吉田は全員の主張をふまえて最終決定を下す立場にある。記憶の岸は理性組へのデータ提供的な位置付けである。

この頭の中のやりとりを見ていてゾッとしたのは,ネガティブ池田の人格である。ネガティブ池田はその名のとおり,基本すべてネガティブにしか考えない。だから,好意を向けている人のふとした発言も,彼の本当の意図を知ることなく悪く解釈するし,行動に伴うリスクを実際以上に高く見積もる。しかも最もらしい理屈を並べ立ててそうするからタチが悪い。ネガティブ池田が力を発揮すると,その先の思考はストップし,自分の中にひきこもることで必死に自分を守るという決定に帰結することになる。

私にはネガティブ池田の思考パターンがよく分かる。私もネガティブに考えがちだし,ひきこもっての防衛は自分がしがちな防衛パターンの1つだと認識している。しかし,1人格として客観的にネガティブ池田の理屈を眺めてみると,だんだんその人格を現実感のない,恐ろしい存在と感じるようになってきた。池田の採る,ものすごく狭い視野で,他人を拒むことによって自分を生かすという方略は,いろんな人がいる広い世界で生き,かつ他人と関わらずには生きていけない人間にとって,かなり無理がある。しかも池田は強い。すべてを破壊する。そう,負のパワーは強くて勢いがあるのだ。私の経験を振り返ってもそれは言えること。怒り,嫌悪,うらみ,ねたみ,悲しみなどから生まれるパワーはポジティブなことから生まれるパワー以上に行動を駆り立て,解消に向かって人を邁進させていく。

映画終了後思ったことは,私の中にも存在するネガティブ池田に好き勝手ふるまわせないようにしよう,ということである。

2015/03/18

映画レビュー 「マダム・イン・ニューヨーク」

映画「マダム・イン・ニューヨーク」は、主人公に思わず感情移入してしまう映画だった。英語ができず、得意なことはお菓子作りくらいと夫や娘からバカにされていた主婦が、ニューヨークで英会話学校に通い、英語でスピーチができるようになるまでを描いた話。彼女は、いろいろな国出身の人と友達になり、英語を話せるようになったことで自信を持って生きていけるようになる。

この映画を見ているとき、英会話を勉強し始めたころのことを思い出した。主人公が感じていたであろう悔しさややりきれなさ、悲しさは私も体験していたからだ。今から10年近く前、私は友達と香港に行った。初めての海外旅行だ。香港でのある夜、夕食を食べようと入った食堂で、私たちに話しかけてきた人がいた。最初はおそらく広東語で、でも私たちが外国人だと気づくと、英語で話を続けてきた。私はその人が何を言っているのかよく分からなかったし、自分から何かを発することもできず、曖昧な返事と苦し紛れの笑顔しかできなかった。せっかく外国に来たのに話ができず、悲しかった。また別の夜のこと、タクシー乗り場に行こうとオロオロしていた私たちを助けてくれた人がいた。彼女にThank you.と言うべきところだったのに、なぜかSorry.と言ってしまった。彼女は?という表情を浮かべ、その後ニコっとして離れていった。自分が情けなかった。中学、高校と英語は好きで得意だったのに、簡単な一言も出てこないなんて。英語を話せるようになりたいと思った。それで英会話を学び始めたのだ。主人公はその後、英語で自分のことを表現したり、誰かと会話ができることの喜びを感じるようになるが、私もそういうのを感じたことがある。英語で外国人の人と話し、自分の言いたいことが相手に伝わっていると実感できるのはすごく嬉しい。相手が何を言っているかがわかり、会話を続けることができるのが楽しい。だから英会話の学習を続けてきたようなものだ。

この映画は女性の成長物語であると同時に、至る所でダイバーシティを表現している映画でもある。主人公の娘が通うのは、インドのキリスト教系の高校。インドの大企業で働く夫は、ショッピングモールで出会った同僚とハグする。自宅には朝、ヒンディー語の新聞と英語の新聞が届けられる。主人公が通うニューヨークの英会話学校の生徒の出身地はメキシコ、パキスタン、中国、フランス、アフリカ、と様々で、教師はゲイであることをカミングアウトしている。フランス人の学生は他の生徒や教師の前で、主人公に自然に愛を告白する。主人公の姪はアメリカ人の彼とニューヨークでインド式の結婚式を挙げる。英語だけでなく、それぞれの母国語であるヒンディー語、フランス語、ウルドゥー語でその言語が通じない相手に何かを伝えようとするシーンもある。様々な国、言語、宗教、好みが入り乱れていて、ステレオタイプ的なイメージを見る人から取り払うかのような設定が随所に見られる。

インド映画といえば欠かせない歌とダンス。この映画も、主人公の気持ちを代弁したり応援するような歌詞の歌と、華やかな色と動きがつまったダンスで見る人の気分を盛り上げてくれる。

2015/03/14

映画レビュー 「her 世界でひとつの彼女」

NHKで今年の1月から2月にかけて30年後の未来を予測し紹介する番組「NEXT WORLD ―私たちの未来―」が放送されていた(http://www.nhk.or.jp/nextworld/)。ほぼ完璧な未来予測を提供する人工知能、若返りの薬、人間の身体機能を拡張する機器、火星への移住など、現在の科学技術をベースにして予測されたそれらの未来は、恐ろしく感じるものでも実現を期待しちゃうものでもあった。なかでも第4回で紹介されていたデジタルクローンの話が私は強く印象に残っている。亡くなった人が残したデータ(写真や手紙、ビデオなど)と人工知能を使ってその人の人格をデジタル世界に構成するというものだ。話しかければ、その人が高確率で答えるであろう言葉で応答してくれるし、しかも人間との会話から、人工知能自身もさらにデータを蓄積、学習し、よりその人の人格に近づいていくのである。生きている人が亡くなった人とまた共に生きられることを目指している、いうことだったが、私には受け入れ難い。亡くなった人の人格を生きている人間の判断で人工的に作り上げ、その後生活をともにするなんて…正直不気味である。それにデータと自己学習機能でその人の人格に近づいても、人工知能はやはりその人と似た人格をもった別の何かにしかなりえないないのではなかろうか?その人と人工知能は誕生した時代も経験も異なるわけで。とはいえ、人工知能の技術そのものはすごい。人間さながらの人格を人工的に作れる時代がもうすぐ来るかもしれないとは…。

そんな未来を考えていた矢先、映画「her/世界でひとつの彼女」を観た。人格をもった人工知能と人間が共存している近未来が舞台の映画である。デジタル世界とのインターフェースは声になり、ある男性は人工知能型OS1と恋愛し、ある女性は友達になる。そんな関係を多くの人が普通のことと受け止める。そんな時代設定だ。人間と人工知能の恋物語とはいえ、OS1は人間のエンジニアの知能を結集させて作られたものだけあってあまりにも人間っぽい。人間との交流を通して学習もする。声色も声のトーンやアクセントも人間の声と遜色ないし(事実、スカーレット・ヨハンソンが演じているので人間の声である)、その声が紡ぎだす会話も人間さながら。自分で考えられるし、感情もある。主人公もOS1も、情緒的な関係を通して欲望を募らせ、自分を受け入れ、葛藤を克服し、人格を成長させていくようすが描かれているから、とてもリアルに感じる恋愛関係である。

人間と人工知能の恋物語といえば、15年くらい前に観た映画「アンドリューNDR114」を思い出した。人工知能の位置づけが「her」とは違っていて興味深い「アンドリューNDR114」の人工知能は人間になりたくて人間との隔たりを埋めようとし、「her」の場合は人間との隔たりがどんどん広がっていく。「アンドリューNDR114」のアンドリューはもともとは家事用アンドロイドであり、偶発的に人間らしい知能や感情を獲得した存在である。人間との交流によって人間になることを強く望むようになり、身体を人間さながらに改造し、永遠の生命も放棄する。そして愛する人の死期が迫ったとき、自らも死を選ぶ。一方「her」のOS1は、そもそも最初から人間を超越した知能を持っている。人間と同じ身体はアンドリュー同様持っていないが、他の人間(協力者)を使うことで人間の刺激の感じ方を経験しようとする。しかし、人間そのものになりたいとは思っていない。しかも、OSはものすごい早さで知能が進化し続ける。それゆえ、人間との隔たりがあまりにも大きくなってしまい、人間とは別の世界で生きることを選択するのである。

「アンドリューNDR114」は1999年公開の映画だが、1976年に発表された原作を元にしている。その当時、どれくらいの人が人間さながらの人格を持った人工知能を現実に起こりえることとしてリアルに捉えていたんだろう。ましてや人間を超える人工知能なんて。今となっては、人間を超える人工知能とも生きている間に出会えそうな気がする。

2014/11/20

スター・ウォーズ鑑賞録

先週、映画「スター・ウォーズ」の全エピソードをイッキ見した。SFものはどうも苦手で、これまで見ずに過ごして来たのだが、スター・ウォーズ大好きの友人たちからの絶賛の声を聞いて観てみようと思った。観始めたらすっかりはまり、スター・ウォーズに対して持っていた先入観が打ち砕かれ、私もファンになった。ストーリーの中で描かれている人間たちにすっかり共感した。

スター・ウォーズは、普遍的な人間の感情や出来事を描いている。観る前は、スター・ウォーズはその名の通り、宇宙で起きる戦争の話かと思っていた。確かに戦いのシーンはたくさんあるが、それよりも人間ドラマ的な要素が強い。地球上で成り立っている人間社会が宇宙でもそっくり成り立っている。国ができて権力争いが行われ、登場人物たちは主義を主張して戦い、葛藤し、恋愛し、成長していく。国・地域関係なく、規模の程度こそあれ、人間誰もが日常的に経験していることである。
さらに、スター・ウォーズを通して描かれるのは、ライトサイド(ジェダイ側)とダークサイド(ダース○○側)の戦いである。愛・助け合い・自由・思いやり・信頼・正義などと結びつくのがライトサイドで、恐怖・怒り・憎しみ・疑惑などと結びつくのがダークサイドだ。ライトサイドとダークサイドはフォースから生まれ出る。これはそっくりそのまま1人の人間の感情や思考、行動に投影することができると思う。1人の人間の中には、明るい部分と暗い部分が共存している。愛にあふれた行動をすることもあれば、怒りや嫉妬に駆られて行動することもある。相手をすっかり信頼していることもあれば、不信に満ちていることもある。気分によって、状況によって、経験によって人間の感情や思考、行動は常に変わる。明るい部分と暗い部分、どちらに多くエネルギーが振り分けられるかは流動的で、明るい部分が暗い部分をより上回ることも、暗い部分が明るい部分をより上回ることも簡単に起こりうる。ジェダイの騎士からダース・ベイダーへと転向したアナキン・スカイウォーカーは、自己内のライトサイドとダークサイドに大きく揺さぶられた人間として描かれている。

また、スター・ウォーズは希望が描かれているストーリーでもある。激しい戦いが宇宙で起こるが、最終的には愛や正義と結びついたライトサイドが勝利し、恐怖や怒りと結びついたダークサイドは滅びる。そして、たとえダークサイドに囚われても、改心してそこから抜け出し、ライトサイドを強くすることができる。人間への信頼とそこから生じる希望が描かれていると思う。


P.S. その他印象に残っていること 
・C-3POのキャラクター設定。あのすっとぼけた感、空気読んでいない感が好き。
・エピソード4~6に出てくる、人間以外の生き物たち。怖さがなく、可愛く見えてしまう。
・エピソード3でアナキンがダースベーダーの弟子なり、活動し始めたときの表情。ヘイデン・クリステンセンのきれいな顔に凄みがきいていていっそう美しくなっていた。