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2015/06/18

MOOCs体験記

MOOCsとは Massive Open Online Courses の略称で、インターネット上で公開されている講義を無料で受講できるサービスのことである。MOOCsで初めて講義を受けたのは2年くらい前のことだったが、講義内容がとても充実していて、かつオンラインだからこそできるいろいろな試みが講義に組み込まれていて、とても魅力的なサービスだと感じた。それから今まで、時間に余裕のあるときや、面白そうな内容の講義を見つけたときに受講しているのだが、ちょっと◯◯について知りたいとか、◯◯に興味があるけれど、何から始めよう、というようなとき、効果的に使えるサービスだと感じている。本を読むより分かりやすいし、なんといっても気軽に始められる。

MOOCsで私が最初に受けたのは、Coursera (https://www.coursera.org/)というプラットフォームで開講されていた「Introduction to Psychology」(https://www.coursera.org/course/intropsych)だった。トロント大学の心理学の教授が開講していた授業で、とにかく内容が濃かった。2ヵ月の開講期間中、いくつかの心理学のトピックに関するビデオ(全体では2時間前後の講義がいくつかの動画に分割されている)が毎週アップロードされ、それを見て受講する。そして、彼の講義に関連する情報が提示されている動画やサイトのリンクをたくさん紹介されるので、自分の興味に合わせて学習を進めることが可能だった。さらにこの教授は、受講者が被験者/実験者として参加できる調査および統計分析のシステムのプラットフォームをオンライン上で公開していたから、それに参加することで簡易的な心理学調査を実際にやってみることができた。このコースは、オンライン上で課題を提出したり、講義で話されていたことに関するクイズなどをやることで修了証とスコアがもらえる。私は課題レポートは提出せず、その他の要件を終えて修了証を得た。

Courseraで受けたもう1つの印象的な授業は、「Introduction to Public Speaking」(https://www.coursera.org/learn/publicspeaking)だ。ワシントン大学の教授が開講していた講義で、英語試験のスピーキング対策にと思って受講した。さすがスピーチについての講義である。とにかく迫力のあるプレゼンテーションで、しかも実用的。即興スピーチから情報を与えるスピーチ、説得のスピーチまで段階を踏んでいけるように構成されていて、スピーチの構成、表現の仕方、話し方などの要点は簡潔にまとめられていた。課題は、その要点に基づいて自分でスピーチを作り発表するというものだ。私は即興スピーチのみ参加したが、まず自分のスピーチを録画して、Youtubeにアップする。その動画を他の受講者が見て、評価するというしくみだ。他の受講者のビデオを見ていたとき、本当にいろんな人が受講しているということを実感した。Courseraは米サイトだが、受講者はヨーロッパや南米からもたくさんいたし、年齢もばらばら。自分と同じようにスピーチをよくしようとしてがんばっている人がいる、と知れたことは励みになった。

今は、数週間前にたまたま見つけたJMOOCのサイト(http://www.jmooc.jp/)で1つ受講している。何かを学ぶときのとっかかりとして、MOOCsは大いに活用できると思う。

2015/05/31

読書記 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」

小説を読み入ったのは久しぶりかもしれない。文庫本で500ページ近くもある分厚い話なのに、その長さを全く感じさせない話だった。それどころか、話の終わりには終わってしまうのが少し寂しかったくらいだ。「オリガ・モリソヴナの反語法」は、私が大好きなエッセイの著者、米原万里の作品だ。謎解きの物語でもあり、子供時代の思い出をたどる物語でもあり、ソ連大粛清時代を描いたノンフィクション的な物語でもあり…中身のぎっしり詰まった500ページでとても濃ゆい読書時間になった。

本のタイトルにもなっているオリガ・モリソヴナは、まだ学生だった頃の主人公の舞踏教師をしていた女性である。彼女の十八番は反語法と独特の罵声。奇抜な格好でいつも生徒たちに反語表現と罵り言葉を浴びせており、学校で圧倒的な存在感を放っていた。大人になった主人公は、オリガ・モリソヴナの反語法と独特の罵声、その他彼女について謎に思っていたことの答えを見つけるためにモスクワに飛び、オリガ・モリソヴナの半生を探っていくのである。

なんといってもこの小説で衝撃的だったのは、ソ連で1930年代に起こった大粛清の話かもしれない。米原女史は、このあたりの話をたくさんの参考文献を元にして書いているから、かなり史実に則したものとして大粛清時代に実際どんなことが起こっていたのかを知ることができる。小説では、オリガ・モリソヴナは大粛清の時代を生き延びた女性として登場する。外国人と交際していたことで逮捕され収容所に送られたが、最終的には収容所から解放され寿命を全うした。収容所時代の手記を出版したという別の女性が、オリガ・モリソヴナと一緒に収容所で過ごしたという設定で登場するのだが、彼女の手記を主人公とその友達が読む長い長い場面がある。そこには、逮捕された女性たちはどこに送られ、どのような生活を強いられたのか、女性たちはそこで何を考え、どのように互いに助けあっていたのか、女性たちにどのような酷い仕打ちがなされたのか、が詳細に記述されている。また、主人公の友人が持っていた別の資料には、当時ソ連上層部にいた人間たち(ベリヤとその部下たち)が行っていた一般女性への恐喝、強姦行為が生々しく記載され、物語の一部に組み込まれている。これらの話はグサグサ私の心に刺さった。恐怖と悲しさと同情と、生き延びた女性たちの強さと、悔しさと…いろいろな思いがこみ上げてきて、さっと読み進めることはとてもできなかった。

小説に引き込まれたもう1つの理由は、過去の場面と現在の場面が行ったり来たりしながら話が進んでいく中で、たくさんの登場人物たちが時代をまたいで、場所をまたいで関わり合い、1つの大きな物語を形成したからだと思う。物語の最初の頃に出てくる人物のキャラクターや行動は、後に描かれるエピソードの伏線のような役割を果たしている。少しずつ散りばめられた伏線を少しずつ回収して物語をまとめていく、その間に新しい登場人物たちが配置され物語の厚みが増していく、そんな印象だった。冗長さを全く感じないストーリーである。

先日このブログでも書いた彼女のエッセイ「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」と一緒に、この小説を多くの人におすすめしたい。

2015/04/26

英会話の功罪

大学で勉強するようになってから、英語の文献をしょっちゅう読まなければならなくなった。指定された英語文献の逐語訳の発表や、その文献に書かれている内容の解説を授業で行うから、文献の内容を頭に叩き込んでおかないと授業に出てもあまり意味がない。このときに要求される能力は、文献の内容を正確に理解する能力である。文献全体の内容を大まかにつかむ、というのでは確実に不十分だ。そして私は精読が苦手なのである。

これまでに何度か英語との付き合いをこのブログに書いているが、私は英語が好きだ。好きだからそうしたのか、そうしたから好きになったのか、とにかく私は英語力を高めるのにこれまで多くの時間を費やしてきた。だからそれなりに英語を読んで書けるし、英語でのコミュニケーションに特に抵抗もない。しかし精読と逐語訳はどうも苦痛である。

精読と逐語訳が苦痛な理由は、慣れていないかつ、面倒だからである。英語は継続的に何年も学んでいるが、高校の受験対策以降、英文の精読および逐語訳をほとんどやっていない。でもこれには理由がある。私が大学に入って英語の再学習を始めたのは、あくまで英語の聞く・話す能力(英会話力ともいえる)を高めたかったからである。英会話力を高めるのに精読や逐語訳は必要ないし、むしろ妨げになるとさえ思っていた。それは、会話には流れがあるからだ。相手の言っていることを即座に理解し、それに対して意味のない間をとることなく返答する、これができるようになりたいと思っていた。だから英語を英語のまま理解することをかなり重視し、会話中日本語を排除することを意識してきた。そのかいあってか、「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」ことがある程度できるようになった。

しかし、私はこの能力を重視しすぎたために、読む・書く能力がいまいちになっているのでは、と最近感じている。会話で力を発揮してくれている、「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」スキルは、ネイティブ並のものでは到底なく、読む・書く能力(英語ネイティブ向けに書かれた記事や本を読む、英文エッセイを書く)が求められる状況ではそれほど役に立たないのである。例えば、読むにおいては、文章の大体の内容はとっさにつかむことができるが、細かい内容をある程度の早さで把握し、理解することができない。ある程度の早さを持って読もうとすると混乱するし、内容を間違えて把握していることが往々にしてある。間違える理由は大体、辞書を引いて確認しなかった/文の構造を間違えて把握した/指示代名詞が指すものの取り違え、である。精読せざるを得ない状況に最近なって初めて、自分の大雑把な(適当な)内容の把握っぷりに恐ろしくなった。そして電子辞書にありがたみを感じ、「成句検索」という便利が機能があることを知った…。書くにおいては、英語だけでは複雑なことが考えられず、思考が薄っぺらくなるからである。日常会話よりも書くときのほうが断然、内容の明晰さや論理的な流れ、文構造の正しさ、適切な言葉を適切な位置に配置すること、などが求められる。決して会話の価値を低く評価しているわけではないが、英語でエッセイを書くのは相当な時間がかかる。

結局私が苦手なのは、これまでやってこなかった英語⇔日本語の変換作業である。和訳するにしても英訳するにしてもぎこちない文章になりがちだし、時間がかかる。もちろん理想はかねてから私が目指していた「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」スキルを高いレベルで持っていることである。しかし、そこに至るには英語⇔日本語の変換作業を繰り返し行うことは避けて通れない、という結論に至った。なぜなら私は、日本で生まれ育ち、日本語を使って思考するのが自然な人間だからである。ということで、前置きが長くなったが、面倒くさがらずに、そして忍耐を持って、英語⇔日本語の変換作業を続けていこうと思う。

2015/04/22

たけのこ採って林を守る

先日、生まれて初めてたけのこ掘りをした。経験者の友人から、「地面がもこっとしているところを探すんだよ」とアドバイスをもらっていざ出陣。いっぱい持ち帰れるように袋もいくつか用意した。なのに、現地に着いていくら歩きまわっても、もこっとしたところが全然見つからないじゃないか!たけのこを次々と見つけ、さくさく掘っている人も周りにたくさんいるというのに。

そもそも今回のたけのこ掘りは、大学が管理している緑地保全のためのイベントだった。この緑地は雑木林として学校が維持・管理し、研究にも使用しているのだが、竹林も点在しており、雑木林が竹林に取って代わられることが危惧されている。だから、竹に薬剤を注入して枯らしたり、適宜切って竹炭として使ったりしているらしい。たけのこ掘りも、竹林拡大防止の小さな一端を担っている。

ではなぜ、雑木林から竹林へと変化するのがまずいのか。それは、雑木林とそこに住むいろいろな動物、昆虫、他の植物たちが構成する生態系が崩れてしまうからである。竹は元々は中国からの外来種。成長が早いため、手入れをしないとどんどん分布が広がる。そして竹は背が高いため、竹よりも背の低い植物たちは少ない光しか得られず枯れてしまう。さらに竹林の土壌は固いため、棲みつく動物も少ないらしい。よって竹林の拡大防止に取り組まなければ、雑木林とそこに見られる動物や植物の多様性が失われてしまうのだ。しかしかといって、竹を1本残らず取り除いてしまうのも生態系にとってはよくないらしい。バランスが重要ということなのだろう。

外からの侵入物によってもともとそこにあった固有のものが失われていく現象は、自然に起きるだけではない。環境保全のための植林活動でも同様のことが起こりうる。小笠原諸島で実際にあった話。環境を保護するため、小笠原諸島で生えているのと同種の九州地方で育てた木を植林したところ、互いの遺伝子が大きく異なっていたことから交配できず、さらに九州から来た遺伝子が小笠原諸島固有の遺伝子に置き代わってしまう危険があると判断された。そして結局植林した木を伐採し、芽が出た実生も抜くこととなったという。植林もうかつにしてはかえって逆効果というわけだ。
たけのこGET!

こんな話を聞いていると、植物は分かりやすいくらいに弱肉強食になっているなと感じる。自身の持つ遺伝子や構造がより環境にマッチしたものが生き残っていく。人間の場合、少し事情は異なる。短期的には弱肉強食も生き残れるように見えるが、強いだけでは生き残れない。人間は高度な社会性と認知能力を備えているがゆえ、利他行動をするよう進化して生き残ってきた。つまりは、持ちつ持たれつの関係を前提として行動できる者が生き残れるというわけである。進化心理学の視点から見れば、自分の強さだけで生き残ろうとする者はいずれ自滅するか駆逐される。

たけのこ掘り、私は見つけるのも掘り出すのも一苦労だった。でもとても楽しかった。慎重にあちこち歩きまわって、たけのこの頭がひょいと出ているのを見つけたときはとても嬉しかった!しかも採りたてのたけのこは新鮮で、今まで食べたどのたけのこよりもおいしく感じた。残りのたけのこで、煮物やたけのこご飯も作ってみようと思っている。



参考:ひなたブック 首都大キャンパスの松木日向緑地ハンドブック

2015/04/12

本レビュー 信田さよ子「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」

ここ数年の間に、母と娘の共依存関係について書かれた本をよく見かけるようになった。先日読んだ「母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き」もその1つである。著者が臨床の現場で体験してきたことを元に、いくつかのこじれた母娘関係を事例を使って描き、その母親像を分析し、そんな母娘関係への処方箋を提案する、という内容だ。

母と娘の共依存関係を簡単にまとめると、「愛情である」という認識のもと、精神的・理的に娘を支配する母親と、その母親からの精神的・物理的な施しを受け入れざるをえない娘の不健康な関係である。母親からしてみれば、その行動は娘を想う愛情から起こるのであり、娘を支配しているという感覚は全くない。母親が娘を愛することは、社会において当然またはそれ以上のこととして認識されているため、そこには非難される要素はない。だから娘もその行為を受け入れざるを得ない。娘も社会の認識通り、母親の行為は自分への愛情に根ざしたものだと認識するため、拒否すれば罪悪感と自己否定に駆られるのである。また、誰かに相談したとしても、贅沢な悩みだとか、親の愛情が分からないなんてなどと返され、往々にして娘の「母からの行為を拒否したい」という気持ちは理解されず、しばしば更に悩むこととなる。こうして母と娘のこじれた関係は続いていくのである。

「母が重い」という感覚は私も体験したことがある。特に20代前半のころはそう感じることがよくあった。私が自分で決めることなのに、母が自身の意見を言ってその方向で進めようとするとき、自分でできることなのに、先回りして母がやってしまったときなど、母からの見えない重たい圧力を感じたものである。母に文句を言うと、「あなたのため。心配だから。」みたいなことを言われる。そしてたいてい文句を言った自分を責め、心が痛くなる。まさに、先に述べた共依存のサイクルの中にいる状態である。だからこの本に描かれていた事例を人ごとのようには感じなかった。

著者はこのような母と娘の関係を、社会学的視点を取り入れて解いている。近代以降、国家を構成する一単位としての家族を成立、維持させるために「母性」というものが構築された(母性は本能的なものではない)という立場から、母性の特徴の1つである自己犠牲的態度を問題の出発点とする。自己犠牲的態度(例えば、「あなたさえよければそれでいいの」のようなことば)によって自身を空虚にした母親は、娘と一方的に一体化する。自分を産み育てた母親からの一方的な一体化を受ける娘は、それを母の愛と捉えることとなる。なぜなら、母は皆我が子を愛する、ということが母性の自明的な要素だからである。自分の存在が母に自己犠牲的な態度をとらせていることを認知した娘は、罪悪感を喚起され、抵抗するという選択肢もなくなる。なぜなら自分のせいで被害を被っている母に抵抗することは不正義であり、そんなことをしようとする自分を受け入れることもまた苦しいからである。しかしこの母親の自己犠牲的な態度は、実は偽りの自己犠牲であり、母親自身の欲望実現のための手段である。偽りでない自己犠牲ならば、娘と一方的に一体化する(娘が自分とは異なる他者であるということを否定する)ことはないからである。世間や夫によっておおっぴらに欲望を実現することをよしとされてこなかった母親は、家庭という隔離世界で自己犠牲的態度によってしか自身の欲望を実現することができなかった、ということである。(もちろん当事者である母親は、自己犠牲的態度で自分の欲望を満たそうという意識など持っていない。自分の犠牲は娘のためだと確信している。)これが母親が娘に支配的になっていくカラクリである。

人間の行動は基本的に、自らが快を得るということに動機づけられる(意識していようがいまいが)と私は思っている。だから、欲求が満たされる=快であるため、母親の態度に隠された心理についての分析は腑に落ちる。しかしこのような状況に母が陥ってしまうのは、著者も指摘しているように、社会環境や夫(母からすれば)との関係が絡んでいる。そして、私はこのことがけっこう重要だと思うのだが、母に被害を与えられていると感じる娘自身もそういう母を助長させることに加担している。娘がそのような母親を受け入れているから、母親もそれをよしとするのである。娘が毅然と拒否するならば、いずれ母も態度を変えざるをえなくなるだろう。関係を変化させることはなかなか一筋縄ではいかなそうだが、変化を本当に望むのであればそのために自ら動かねばならない。

2015/04/07

手段としての一人旅

先日友人と旅行の話になった。彼は旅行好きで、年に数回海外に出かけている。1カ月ほど前は、奥さんと幼い娘と一緒に海外リゾートに行ってきたらしい。そして近々、東南アジアを一人旅することを計画している。彼曰く、「家族旅行は家族へのサービスが目的だから。一人旅で自分の自由な時間が必要だよ。」たしかにその通りだと思う。一人旅の醍醐味といえば、好きなときに好きなことができる自由気ままさ。誰かと一緒だったら、よっぽど気心が知れた人でない限りそんなわけにはいかない。そう思うと一人旅は魅力的。だから私も好んで一人旅をよくしてきた。でもここ数年は一人旅をしていない。一人で飛行機や電車に乗っても現地で友人と合流する。それに、昔は頻繁に起こっていた一人旅したいという気持ちも起こらない。この心境の変化はいかに・・・。ということで、一人旅遍歴を振り返りながら考えてみようと思う。

最初に一人旅をしたのは今から約10年前、夜行バスで広島に行ったことだった。広島市内と宮島を観光し、お好み焼きや牡蠣やもみじ饅頭を食べた。広島に着くまでのバスの中では私は恐怖でいっぱいだった。初めての一人旅だったし、夜行バスも初めてだったし、親にも内緒だったから、何か悪いことが起こりやしないかとひやひやだった。広島に着いてからもひやひやは続いていた。でも、地図を見ながら目的地にたどり着いたり、一人でご飯屋さんに入ってご飯を食べたり、山に登ったりしていたらなんだか少し自信がわいてきた。今思えば、とても楽しい旅ではなかったが、一人でそれなりの旅行ができたことが嬉しかった。当時の私は念願だった一人暮らしを始めたばかりの頃で、「自立」ということにとても価値を置いていたから、この一人でできた経験がくせになってしまったんだろう。

それからも一人旅を続けた。国内だけでなく、海外にも行った。初めての海外への一人旅もひやひやものだった。何年もの間行きたいと思っていたベルギーに行ったが、広島以上に大変で疲れる旅だった。言葉が分からないし、街中にアジア人がいなくて疎外感を感じたし、警戒心の低さから危ない目に合いそうにもなった。旅行中は4つの都市を観光して、ワッフルやチョコレートを堪能したが、とても楽しい旅だったとは言えない。だけど、一人で海外旅行できたという達成感のようなものはあった。それにベルギーで一人旅をしたと人に話すと、たいていの人は驚き、感心する人もいた。そしてまた違うところへ一人旅をするのである。

結局私にとって一人旅は、目的ではなく手段だったのだと思う。自立していると実感する/自立していることを他者に示す/他者と自分を差別化するための手段である。自意識過剰の産物とでも言おうか。よく一人旅をしていたころは、○○が観たくて、××が食べてみたくて、でも誰とも予定や行きたい場所が合わないから(あくまでも推測)一人旅をするんだと思っていた。でも今振り返ってみると、それはかっこつきの理由だったように思う。一人旅が自立とリンクしていて、しかも私の周りに一人旅する人がいなかったから、一人旅に惹きつけられていたのだと思う。今は私の中で、一人旅と自立がリンクしていないし、友人の一人旅の話を聞いても特に感心しないし、誰かと一緒に旅行するほうが楽しいと思うから、一人旅欲求が低くなったんだろう。

一人旅の思い出に比べて、誰かと一緒の旅行は楽しかった思い出が多い。好みが合わず行きたい場所に行けなかったこともあったけれど、それ以上に旅行中にした会話とか、一緒に何かをしたこととかが楽しかったこととして記憶されている。それに自分一人では気づかないことに誰かが気づいたりして、いろんな発見ができ充実していた。こういうのが目的としての旅なんだろう。今度一人旅をするとき、それが目的としての旅だったら昔の一人旅とは違う旅になるに違いない。