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2017/04/26

いろんな文字で名前を書いてみた

先日のドイツ語クラスでのこと。一緒に会話練習をしていた女の子に「ドイツ語の他に何か習いたい言語はある?」と質問したところ,「ロシア語!私キリル文字が好きなの。」と返ってきた。キリル文字,私も何度か目にしたことがある。何が書いてあるのかはさっぱりだが,文字の形はなんかおしゃれだ。改めてキリル文字をググってみたところ,文字の表を発見,さっそく自分の名前を書いてみた。私の名前はこんな感じになる→ ёкаwаюки。なんか新鮮!yo(ё)はドイツ語のウムラウトのついた文字(ä,ü,ö)っぽいと思いきや,ドイツ語にはない文字。ka(ка)とwa(wа)は,ラテン文字と似ているのでなんとなくわかる。yu(ю)はハングル文字に見えなくもないが,ハングル文字一覧には載っていなかったので韓国語にはない文字だ。ki(ки)はラテン文字のNかと思いきや,斜線が逆向きになっている。全体で見てみると,yoとyuは一文字で表せるのに,kaとwaとkiは子音と母音の組合せになっている。

キリル文字での名前表記があまりにも新鮮で面白かったので,他の文字で私の名前はどう表せるのかが気になった。そこで,インターネットで見つけたいろんな文字の表や,かな⇔文字変換プログラムをたよりに,いくつかの文字で自分の名前を書いてみた。日本語発音と一致する音がないものは,その文字における近しい音で記載している。
いろんな文字で書いた名前
ここに挙げたのは,ネットで文字の表やかな⇔文字変換プログラムが見つかったもののうちの一部である。ノート1ページ分調べて書いたところで,いろんな文字の表記ルール解読に疲れてしまった(汗)。とはいえ,実にいろいろな文字が世界にはあることが分かる。世界には一体どれだけの文字があるんだろうか。

文字の表記ルールは,本当にいろいろであった。子音だけ,母音だけの文字があり,ひらがなのように子音と母音の組み合わせの文字もあり,それらの組み合わせをどう表記するかも文字によって違ったりする。長音と短音で文字を分けるものがあり,oとuを区別しない文字もあり,文字の向きを回転させることで異なる母音を表せるものもあり,ととても興味深い。音だけでなく,形も実にユニークである。ほとんどの文字で書くのが初めてだったため,どう書いたらいいか分からない…となっていた。特に,フォントによって微妙に文字の細部が異なるものは完全にお手上げであった。とりあえず見たまま写してみたが,文字というより絵を描いている感覚であった。カーブの具合とか,〇がどこにつくのかとか,文字のどこを太くするのかとか,てんてこまいであった。そうそう,下のほうに古代文字のヒエログラフ(エジプトの象形文字)とウガリット(楔形文字)を書いているが,これは完全に絵と言っても問題ないだろう。とはいえ,しっかりルールはあると思われる。私の名前で書いた文字から推測するに,ヒエログラフではyはナイフ2本が並んでいるようなものであらわし,kはカップのようなもので表すのだろう。ちなみに,kaのところにいる鳥はwaとyuのところにいる鳥とは異なっている(waとyuのところにいる鳥は同じに見えた)。ウガリットでは,yは逆三角形が縦に三つならんだ下に縦棒が突き出ているもの×2で表せると思われる。oとuの区別はないようであった。

いろいろな文字を書いてみたが,個人的には,ティフナグ(モロッコで使われているとのこと),ヴァイ(リベリアで使われているとのこと),クメール(カンボジアで使われている),チェロキー(アメリカ先住民チェロキー族の言葉とのこと)の文字の形が好きだ。ティフナグやクメールはなんか可愛く感じるし,ヴァイやチェロキーはなんかかっこいい。日本語のひらがな・カタカナの形に,外国人はどんな印象を受けるのかな。

文字の世界,とてもとても奥深い。


参考にした主なサイト
世界の文字で遊ぼう(http://www.geocities.jp/p451640/moji/
地球ことば村(http://www.chikyukotobamura.org/home.html

2017/04/22

絵を描くこと

最近絵を描いている。鉛筆でのデッサンが多いが,色鉛筆やクレヨン,カラーペンもちょこちょこ使ったりして,とにかく描いてみようかなと感じたものを何でも描いている。これまでに,おうちにあるもの,目にした風景,ネットにupされている写真,テレビ番組で気に入ったシーン,外を歩いていて見つけたもの,模写,キャラクター,自分などを描いた。

私は絵を描くのが苦手だと長いこと感じていた。小さい頃は好きだったような気がする。数ページで終わったが自作の漫画を描いたことがあったし,小学生のときに参加した工場の壁への壁画プロジェクトは本当に楽しかった。でもいつからか絵を描かなくなり,美術の授業で大失敗作を生み出してしまったりして,美術から遠ざかっていった。大人になってから絵を描く機会はたまにあったけれど,何を描いたらいいか分からなかったり,何か描いたとしても幼稚過ぎる絵ばかりで,そうこうしているうちに絵を描くことへの苦手意識はけっこう膨れ上がっていた。

1ヶ月くらい前だろうか。年明けからそれまで研究のための本をいろいろ読んで短いレポートを書いたりしていたのだが,行き詰まり,一気に勉強する気を失ってしまった。そんな話を友人にしたら,絵を描くことを勧められた。苦手なことをするのはいつも躊躇するのに,そのときはなぜかすんなり描こうと思えて,近所のダイソーに行ってスケッチブックやカラーペンなどを買ってきた。で,早速描いてみた。最初に描いたのはうちにあるキャラクターのぬいぐるみだ。その後,そのキャラクターの服装を変えたりして新キャラクターを描いてみた。その後,なぜか地球や惑星の絵を描いていたのだが,思いついたことを絵にするとろくな絵が描けないから嫌になってきて,見て描ける周りにあるものを描くことにシフトした。そんな調子でそのときからほぼ毎日,何かしら描いている。

絵を描きながらいろいろ気づいたことがあった。
1つは,絵を描いている時間が心地よい時間だということだ。見ては描いて見ては描いてを何度も何度も繰り返しながら1つの絵を完成させていくのだけど,その時間は対象を見ることと描くことに精神が集中されている。そのときはたいてい,頭の中で言葉が消えている。言葉が浮かんできたとしても,この線はこれくらいの長さとか,ここの角度はこれくらいとか,絵を描くのに用いるものばかりである。日々の生活でなんとなくもやもや浮かんでくるような言葉はすべてなくなり,まとまりのない考えもなくなり,ただ見て描く,それだけの時間である。それがとても心地よく,心に落ち着きが生まれている。

2つめは,見ていたはずなのに見ていなかったことばかり,ということだ。例えば普段使っているコップを描くとする。まずは見ないで,記憶の中にあるコップを思い出して描く。毎日使っているから描けるだろうと思いきや,実際に描いてみるとろくなものが描けないことが分かる。そして実際見て描いてみると,ここはこうなっているのか,というのがわんさか見つかる。そうすると,これまで私の頭の中にあったコップ像はなんだったんだろうと思えてくる。知覚や注意,記憶のシステムを考えれば,見ていたはずなのに見ていなかったと感じるようなことが起こるのは普通のことなのだが,コップ1つでこんな調子なのだから,そのほかの多くのこともそんな調子に違いない。私の頭の中には大量の知ってるつもりがあるのだろう。

3つめは,対象に含まれるパーツはすべてそこにあるべくしてあるんだと思うようになったことである。絵を描くとき,そこにある対象に似せた絵を描くには,よくよく観察し,それを紙に描いていくこととなる。私の描く線はほとんど一発で決まらない。描いた絵を実物と何度も見比べ,ズレを何度も修正している。なぜなら,線や角度,傾きなどが対象のそれとずれて描かれたものは何か違和感を感じるからである。よく観察しながら部分を描いていっても,ある程度描いてから描いたもの全体を見てみると,違和感を感じることがある。そういうとき,描いたものをさらに観察してみると,描いたものの一部の線の長さや角度,比率がずれているのである。ちゃんと見て描いたはずなのになんで!?となることもしばしばだが(ここでも上記した感覚に陥る),さらに見て修正し,長さや角度,比率を地味に変えていくとそれほど違和感を感じなくなってくるのである。

そして最後は,絵は練習すれば描けるようになるということである。「私絵うまくないから」と私はこれまで何度も発してきた。今だってもちろん全然うまくない。でも,絵を描き始める前の私が今描いている絵を見たら,「あれ?私こんなに描けたんかい」と絶対びっくりすると思う。時間を使う,対象をよく見る,細部まで疎かにしない,ことを心がけるだけでも絵を描くことができる。とはいえ,絵を描くコツや技法もある。絵を描き始めて2週間くらい経ったころ,ベティ・エドワーズの「決定版 脳の右側で描け」を読みながら,そこに載っていた課題を描きながら,10日間くらいで初歩的なことを学んだが,よりリアルな絵を描くのに有益なものだった。

描いた絵は,Instagramおよびtwitterにupしています(どちらにも同じ絵をupしています)。興味がある方はどうぞ。上手でないことは重々承知しているので,寛容な心で見ていただけるとありがたい。
Instagram: https://www.instagram.com/yukiron_y/
twitter: https://twitter.com/yukiron_y

2017/04/13

本レビュー エイミー・E・ハーマン「観察力を磨く 名画読解」

最近絵を描いている。それで絵に関する本をググっていたときに見つけたのが,エイミー・E・ハーマン「観察力を磨く 名画読解」である。先日ブログで,「一次情報」は思考することの起点になるため重要ね(http://yukiron.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html)という話を書いた
が,その一次情報を手にするにはどうすればいいのだろうか。答えはいくつかあると思うが,その1つは観察することだろう。ただ見ることと観察することは違う。対象を正確にとらえること,つまり,対象そのものを細部まで,バイアスをできるだけ排除して観ることがまず観察することの第一歩だと思う。そしてそこから,ちょっとした違和感(それは多分基準とのずれや論理的整合性だと思うが)を感じられるレベルにまでなれば,それまで見えていた景色は一変しているに違いない。なんせあのシャーロック・ホームズの推理も彼の卓越した観察力なしではありえないのだから(シャーロック・ホームズは架空の人物だが,実在した人物(ジョセフ・ベル)がモデルとされている)。

著者は,歴史的名画を使って観察力を高めるためのトレーニングを警察官や医学生などに提供している女性だ。本にはいくつかの絵が読者向けのトレーニングとして載っているが,やることはとてもシンプル。絵を観察し,観察内容を客観的な表現で描写したり,観察内容からその絵に描かれている事象の背景を推測したりする。これだけである。これは実際にやってみると分かるのだが,観察することに慣れていない人にとってはけっこう根気のいるトレーニングである。なんといっても,絵を観察すること自体,それなりの時間を要する。絵の全体から,細部から,何がどう描かれているかを把握していくプロセスだからだ。たとえば女性が描かれた絵。そこには観察するところがたくさんある。髪の長さは?,髪や肌,目の色は?,どんな服装をしている?装飾品は?体型は?表情は?…。挙げればキリがない。しかも,視点を変えたら見えているものもまた変わってくる。絵画よりも変化が大きいのが3次元の物体であろう。この本ではミケランジェロのダビデ像も取り上げられていたが,それがいい例である。そして,客観的に表現することも慣れていない人にとっては大変である。普段の会話でよく使う,大きい,長い,多い,気持ち悪いといった,そういう主観的であいまいな表現を用いてはいけない。○○と同じくらいの大きさとか,○㎝くらいとか,○本の線とか,○○な形の○○色の…とか,伝える相手との間で共通的に持っている指標による表現をすることを求められる。そうすると,相手と正確に情報を共有することができる。また,自分の持つバイアス(これまでの経験や持っている知識,そのときの感情など)から離れて事象を捉えることにも貢献するだろう。背景の推測については,例えば窓の外の部分はオレンジ色に塗られているから夕方の出来事を描いているんだろうとか,トーンの変化から光源の位置を推測するとかの,比較的自分の持っている知識だけで完結できるものから,絵に描かれている帽子は○○年ごろ流行っていたから,この絵が描かれてたのは○○年くらいで,この絵に描かれている部屋の内装から,当時人気のあった○○という場所だと考えられる,など,新たに手に入れた情報・知識を取り入れながら推測を進めていくものまでさまざまである。

著者によれば,歴史的名画というのは,作者やタイトル,描かれた時期をはじめとし,その絵に関して明らかになっている情報があるとのこと。それゆえ推測の答え合わせもできる。だから名画をトレーニングに使うとよいとのことであった。絵画を使うと観察力が磨かれるか否かについての学問的な実証はなかったが,著者のトレーニングを受けた人たちにそのスキルがどう活きているかのストーリーや好意的なコメントが掲載されていた。観察を実践することで気づきが増え,それによってこれまでとは異なる考えが生まれたり,問題解決に至ったり,というのが褒美のようである。

観察するという行為は時間さえとれればどこでもできる。名画の写真はネット上に落ちているし,それが無理でも身の回りのものや外の景色だって立派な観察対象だろう。1日数分でも観察することに時間を費やしてみるのはどうだろうか。

2017/04/03

「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!」に行ってきた

先日,渋谷で開催中の企画展「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!」(http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/)に行ってきた。絵師の河鍋暁斎を知ったのはほんの数週間前。「春画!」とタイトルにひかれておもわずクリックした「暁斎春画」のレビュー記事(http://honz.jp/articles/-/43866)を読んでいたら,暁斎の描いた絵を実際に見てみたくなった。鯉のぼりの中に入って事を致している姿を描くとか,せんすを障子に見立て,表面と裏面を使って,障子を貫通してつながっる様を描くとか,「なんて粋なことするんだー!」である。それでぜひとも現物を見なくてはとなったのだ。



平日の昼前後に行ったこともあって,有閑マダムの方々で少し混雑した会場だったが,合計180点弱の作品をゆっくり観ることができた。蛙や烏,きつね,猿,人間,幽霊,鬼,鍾馗,七福神,釈迦…彼は実にさまざまなものを描いていた。しかも描き方もさまざま。細くて繊細な線によって細かく細かく描いている絵もあれば,太い筆を使って一気に描き上げたんじゃないかと思える絵もある。色使いもしかり。はっきりくっきりした色を組み合わせて豪勢に仕上げたものも,淡いぼやっとした色によってふんわりとした感じに仕上げたものもある。暁斎は5~6歳の頃から絵を描いていたらしいが,彼の絵の技術はたくさんたくさん描いて身につけた賜物なのだろう。

展示してあったほとんどは,創作の絵である。動物や幽霊たちが人間のように宴会さながら騒いでいる絵は,観ているこっちまで楽しい気分にさせてくれる。扇子をもって踊る蛙やねずみ,太鼓をたたくうさぎ,三味線を鳴らす骸骨,かぼちゃの追いかけっこなどなど,愉快なアイディアにあふれている絵が多い。なんだか昔話の世界にいるかのような気分になってくる。たくさんの対象が絵の中に描かれているものについては,描かれている1つ1つの対象がそれぞれ魅力を持っていて,それでいてあるべきところにあるべきものがある印象。だから全体としても1つに調和している感じがする。

暁斎の絵を観ているとほっこりとしたあったかい気持ちになる。今回展示されていたのは楽しい絵が多かったのだけれど,大笑いするようなおかしさではなく,思わずクスッと笑ってしまうようなもので,しかもどこか懐かしい感じがする。それに絵を観ていると,暁斎はきっと絵に描いている対象を愛おしく感じながら描いていたんじゃないか,と思わずにはいられない。絵が柔らかい雰囲気をまとっているからだと思うが,怖い顔をしてガリガリ描いている姿が想像できない。

さて,冒頭でちょっと触れた春画は,但し書きの置かれた展示会場の一角に10点くらい展示してあった。前出のHONZのページに載っているもの+他の数点である。春画ってなんでこうもエロく感じるのだろう。エロ本やエロ動画などのリアルエロを観るよりエロい気分になるのは私だけだろうか。……春画について今回はひとまずこれくらいにして,もう少しいろいろ見てからまた改めて書くことにしようか。

そんなわけで心地よい時間を過ごせた暁斎展。まだ会期中なので時間のある人はぜひ。